古写真・舞鶴築港工事写真(現・西舞鶴 第2埠頭)

舞鶴築港001
※各写真はクリックで大きくなります。
現在の西舞鶴第2埠頭である舞鶴築港の工事の様子を撮影した古写真です。
舞鶴築港は京都府の手により昭和3年から工事が始まり、昭和13年に完成しました。
写真は大判7枚小判1枚の8枚ですが、写真裏に剥がし跡があり、元は写真帳に貼られていたものを
剥がしたもののうちの1部と思われます。
写真裏には昭和11年の年号と各日付、そして検閲済の文字がある判が押されています。
これは、舞鶴要塞司令部の検閲済みという判で、当時存在した「要塞地帯法」という法律により写真撮影等を厳しく制限されており、
要塞に関わる部分を隠して舞鶴要塞司令部の検閲をクリアしたという印となります。
1枚目のこの写真は、西舞鶴大野辺地区の山から匂崎方面を撮影したもので、裏に昭和11年11月30日の日付があります。
右手に写っている四角い箱のようなものは、ケーソン(潜函)と呼ばれる基礎で、海底に沈めるために用意しているものと思われます。
湾内には工事の作業をしていると思われる船舶が数隻停泊しています。
この写真には匂崎は写ってますが、本来なら左手側に写っているはずの槇山がありません。
当時槇山には砲台がありましたので、修正により消されたものと思われます。
舞鶴築港002
1枚目の写真とほぼ同じアングルですが、やや拡大されています。
奥の匂崎は1枚目の写真よりさらに修正が施され、岬の先端は完全に消されています。
これは匂崎に海軍の砲台が置かれていたためと思われますが、1枚目では消されていないのにこの写真では消されているのは、
拡大されているからでしょうか。
1枚目と比較してケーソンが1つ増え、岸にクレーンが置かれているので、日付はありませんが1枚目より後の撮影と思われます。
舞鶴築港003
1枚目・2枚目の写真とは逆の方向を撮影した写真。
昭和11年11月30日の日付があり、1枚目と同日の検閲を受けたものです。
槇山の方角を向いて撮影されてますが、手前側の山はそのまま写されているものの、砲台のあった槇山は消されているようです。埋め立て地には資材運搬用の線路が引かれています。手前には大型のクレーンが写されています。
舞鶴築港004
資材運搬用の仮設線路。仮設線路は山際を削って敷設しているようです。
仮設のためか枕木が角材に加工されていない丸太のままで使用されています。
右奥には屋根と骨組みだけの建物がありります。建設途中なのか仮小屋なのかは不明です。
昭和11年11月30日の日付があり、1枚目3枚目と同日の検閲済です。
舞鶴築港005
削られた山肌。恐らく埠頭建設のための埋め立て用の土取場かと思われます。
舞鶴築港工事の一連の古写真について情報を頂いた舞鶴市郷土資料館の方によれば、土取りで削られた跡は現在も残されているそうです。
昭和11年11月30日の日付があり、1枚目3枚目4枚目と同日の検閲済です。
舞鶴築港006
ケーソンを沈めている瞬間の写真です。
昭和11年11月30日の日付があり、1枚目3枚目4枚目5枚目と同日の撮影です。
ケーソンとはコンクリート製の箱型で大型の構造物であり、港湾工事等において基礎とするため海底に沈められるものです。
1枚目2枚目の写真に写るケーソンを沈めている瞬間かと思われます。
舞鶴築港007
同じくケーソンを沈めている瞬間の写真です。
日付は年に関しては剥がし跡で隠れており判別不能ですが2月6日となってます。
前出のケーソンの写真とは違い、ケーソンに万国旗が飾られ、多くの見物人がいることから、最初に沈められたケーソンでしょうか。
となると、日付は昭和11年2月6日となります。
舞鶴築港008
同じくケーソンを沈めている写真ですが、この写真だけ判が小さいです。
日付は昭和11年11月30日で6枚目のケーソンと同じものと思われます。

これら一連の写真は舞鶴築港工事の記録写真として撮影されたものと思われます。
また、舞鶴要塞司令部の検閲を受けていますので、公式記録として撮影されたものでしょう。
工事は昭和3年から昭和11年まで行われましたので、この8枚の写真はそのうちの一部になりますが、
元のアルバムがどういう形だったかは不明です。
スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://besankosyashin.blog56.fc2.com/tb.php/734-504d97ef

<?php include_once("analyticstracking.php") ?>