古絵葉書・天王寺公園

天王寺公園

明治36年、大阪にて第5回内国勧業博覧会が開催され、博覧会終了後、跡地の東半分を
明治42年に公園として再整備されたのが今の天王寺公園です。
左奥に見えるルネッサンス様式の華麗な建物は、天王寺美術館。
博覧会の建物をそのまま再利用したようです。右の建物は温室でしょうか。
この絵葉書は大正期のもののようですが、この華麗な美術館も昭和になって建て替えられ、
洋式庭園も温室らしき建物も今は面影は無いようですね。
私が所有する明治37年3月19日の大阪朝日新聞に天王寺公園の工事の記事があり、
略図も載っておりましたので、あわせて紹介します。
続きを読むからご覧下さい。
明治37年3月19日 大阪朝日新聞より。
「第五博覧会跡十萬坪の中東部三萬九千五十餘坪を劃して設けんとする天王寺公園は既に其手入工事に着手したり、設備の大体は美術館、参考館、楊柳観音、喫茶会、玉出坂上の奏楽室(休憩所)等を保存する外博覧会の建物其他は一切撤去し美術館と天王寺門との間は道路、芝生となし台湾館の辺りに温室を設け、教育館の在りし場所より北手へ懸けて自転車競走場を造り其一周の長さを四分の一哩となし、園内縦横に広き車道を設け其間を細き歩道にて縫ひ、道路以外は庭園、芝生となし、三四箇所に茶店を備ふることとしたり、門は逢坂門、西門、南門、北門、天王寺門の五箇所とし内国製産品評会開期中は逢坂、西、天王寺の三門のみ開く筈なり、三十六七両年に六千餘円を投じ右の工事をなすものにて車道其他の品評会に関係ある分を取急ぎて着手し総体の竣成は本年十二月を期し居れりここに其略図を掲ぐ」
天王寺公園記事
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コメント

西洋のお城のような建物と庭園ですね。

意識していたようですよ。西洋化を目指していた時代ですからね。

そういえば鹿鳴館の時代からそんなにたってないですね。

この大温室行ったことがありますよ、たしか天王寺博覧会(てんぱく)の前まであったような記憶があります。少なくも1970年代にはありました。

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