古絵葉書・鐘紡山科絹布工場(6枚組)

鐘紡山科絹布工場001
京都市山科区にある現在の山科中央公園と山科団地があった辺りにかつて鐘紡の大きな工場がありました。
大正10年(大正6年という説もあり)に日本絹布の工場として設立し、翌年に鐘紡に吸収されて山科工場となったこの工場は周囲に勤めていた多くの女工や職員が住み、女学校や研究所、社宅、寄宿舎、附属病院や市場、映画館などの娯楽施設もあり相当賑わっていたようです。
鐘紡山科絹布工場は1970年に滋賀県長浜市に移転し、跡地は上記の山科団地と山科中央公園となりました。
この絵葉書は6枚組となっており、かつては外袋に入れられ販売されていたようです。
残り5枚を追記にて紹介します。「続きを読む」よりご覧ください。
鐘紡山科絹布工場003
製糸工場とメリヤス工場。蚕の繭を煮てそこから糸を取り出す工場です。メリヤスは平編みのこと。
鐘紡山科絹布工場002
撚糸工場と準備工場。繭から得た糸を撚って絹糸にする工場です。
鐘紡山科絹布工場007
織布工場と捺染工場。絹糸を織って絹布にし、それを染める工場です。
鐘紡山科絹布工場004
出来た製品を展示している様子です。
鐘紡山科絹布工場005
芳蘭女学校と理化学研究所と社宅。
戦前の大企業は工場で勤める青少年の教育のために青年学校という学校を併設して教育を施していました。
この芳蘭女学校も山科工場で働く女工さん向けに造られたものと思われます。
理化学研究所は製品の研究や開発を行っていたところでしょう。
社宅は社員や職員とその家族向けに建てられたもので、他資料では社員社宅は「バンガロー式社宅」。職工家族は1階に3家族合計9家族を収容する「アパートメント式職工社宅」。女工さんを収容した「バンガロー式寄宿舎」があり、いずれも洋風の建物で当時の先端を行く施設だったようで全国の工場関係者を集めて見学会も行われていたようです。
この社宅は社員向けの社宅です。
鐘紡山科絹布工場006
女子寄宿舎と附属病院。
工場で働く女工さん用の寄宿舎ですが、洋風の洒落た建物になっています。
左奥の長細い建物は先に述べた職工家族が住むアパートメント式職工社宅でしょう。
大きな工場にはどこも病院が併設され職員や家族が受診できました。
また、絵葉書にはありませんが娯楽施設なども併設され、職員の福利厚生も充実していました。
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