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古絵葉書・生野町公会堂

生野町公会堂001
現在の兵庫県朝来市生野町にあった公会堂です。外観は戦前の地方都市の公共建築によく見られた下見板張りの洋風デザインですが、内部は格天井に床の間と違い棚、花頭窓のある平書院という伝統的な和風建築である書院造の内装になっています。
この生野町公会堂ですが、同じく戦前に存在した旧生野町役場と外観のデザインが良く似ています。
生野町役場001
以前紹介した生野町役場の絵葉書です。軒回りの格子のデザインや下見板張りの外壁などそのままですが、さらに左奥に写る1階にある切妻屋根の庇が生野町公会堂の入り口とほぼ同じのように見え、窓の配置や建物周りの石柱柵も同じです。
情報が見つからないので確定はできませんが、恐らく生野町役場と生野町公会堂は同じ建物で、1階が役場2階の大広間が公会堂として使用されていたのではないかと思われます。

※関連記事 古絵葉書・生野町役場

古絵葉書・生野町役場

生野町役場001
生野銀山で有名な兵庫県朝来市生野町にあった生野町役場の絵葉書です。
明治元年の官営鉱山時代から払い下げ後の三菱時代を経た生野銀山のお膝元の生野町は鉱山の町として大いに栄えました。
しかし、昭和48年の閉山以降は山間の静かな町へと戻っています。
この生野町役場は鉱山町として栄えた町の役場らしく洋風のしゃれた作りとなっています。
現在生野町の市街地には明治19年築の擬洋風建築である旧生野警察署や、明治の官営鉱山時代から昭和初期まで建築された旧生野鉱山官舎群など数多くの近代化遺産が現存し、市街地も古い町並みが残されていますが、この生野町役場は現存していません。

※関連記事 古写真・生野鉱山局

古絵葉書・蒲生郡役所(現・白雲館)

蒲生郡役所001
現在の滋賀県近江八幡市にあった蒲生郡役所です。
この郡役所の建物は当初から郡役所として建てられたものではなく、元々は明治10年に八幡東学校として建てられたものでした。
明治26年に学校としての役目を終えた後、明治28年に八幡町役場になり明治33年に蒲生郡役所として使用されました。
大正11年に蒲生郡役所が移転した後は再び八幡町役場となりました。
白雲館
戦後は様々な施設に使用された後、平成4年に近江八幡市に移管。失われていた望楼など明治の姿に復元するなどの修復工事を経て、白雲館と名付けられ観光案内所として使用されています。平成10年には国指定登録文化財に指定されました。
絵葉書には蒲生郡役所と書かれていますので明治33年から大正11年の頃のものであることが分かります。
この頃には屋根にあった望楼は撤去されていたようです。

古絵葉書・豊郷尋常高等小学校(現・豊郷小学校旧校舎)竣工記念

豊郷小学校袋
滋賀県豊郷町にある豊郷小学校は、昭和12年に建てられた鉄筋コンクリート造の近代的な小学校で、
完成当時は「東洋一」と謳われた小学校でした。
設計は著名な建築家であるウィリアム・メレル・ヴォーリズ。
手すりに設置されたウサギとカメの像は小学校のシンボルとなってます。

この小学校は平成11年の校舎解体計画により危機的状況に陥りましたが、
解体反対が全国に知られるようになると保存を求める声が強まり、
この校舎は保存・改修されて図書館や資料館などが設けられた町の施設として
再スタートすることとなりました。

また、去年放送されたテレビアニメ「けいおん!」の主人公たちが通う高校のモデルとなったことで、
多くのファンが訪問することとなり、特に主人公たちが部活を行う部室(音楽準備室)は、
アニメでの部活の雰囲気が再現され、ファンの交流の場ともなっています。

この絵葉書はその豊郷小学校旧校舎が竣工した記念として発行されたもので、
私の手元には残念ながら3枚しかありませんが、元は講堂や図書館を含む10枚近くの
絵葉書が入っていたと思われます。

今回は入手したその3枚を紹介します。
豊郷小学校全景
豊郷小学校の全景。
中央の建物が本館。正面玄関の上の3階が音楽室。
右奥が講堂で、左手前が旧図書館。旧図書館には現在は観光案内所が入ってます。
基本的に大きな改造を受けなかったためか、現在とほぼ同じ姿です。
豊郷小学校模型
豊郷小学校校舎の模型。ウォーリズ設計事務所製作のものでしょうか。
豊郷小学校廊下
豊郷小学校校舎内の廊下。現在も当時とほぼ同じ姿を保ってます。
今回入手した中には、残念ながらウサギとカメの手すりや講堂・図書館・貴賓室。
そして、音楽室や音楽準備室の絵葉書はありませんでしたが、
今後も探していく予定です。
豊郷小学校001
竣工から数年経った頃と思われる豊郷小学校の絵葉書。(昭和18年の消印あり)
竣工記念絵葉書に写る樹木が少し育っていますね。
この絵葉書の風景は実習用の畑が駐車場になっていること以外現在と変わりません。
豊郷小学校外観
現在は整備され、地元の図書館等に利用されるほか、上記のアニメや映画のロケ地としても使用されています。

追記
豊郷小学校竹中工務店
昭和14年刊の建築写真集第四編(竹中工務店刊)に豊郷小学校が載っています。
こちは背面からの撮影ですね。

※関連記事・古絵葉書 豊郷尋常高等小学校

古絵葉書・豊郷尋常高等小学校

豊郷小学校001
けいおん!の高校のモデルとして有名になった滋賀県の豊郷小学校の戦前の絵葉書です。
豊郷小学校の校舎はW・M・ヴォーリズ設計で、小さな町に誕生した白亜の大規模な校舎は
豊郷村(当時)の村民の誇りでした。
この校舎の建築費用を負担し寄付したのは近江商人の古川鉄治郎。絵葉書の右上にある銅像の人物で
現在も校舎前に銅像が置かれています。
豊郷小学校は2001年に解体問題が起きましたが保存が決定し、現在は町の複合施設として使用されています。
2012年には国指定登録有形文化財に指定されました。
絵葉書の写真は校庭に植えられている樹木がまだ小さいことと、現在駐車場となっている実習用の畑以外は
現在とほぼ同じ風景を保っています。
豊郷小学校全景
こちらは以前紹介した竣工記念絵葉書の豊郷小学校。1枚目の絵葉書は竣工記念絵葉書より数年経った頃の撮影と思われます。1枚目の絵葉書は竣工記念絵葉書の左端に写る旧図書館(現・酬徳記念館)の屋上から撮影したものと思われます。
豊郷小学校の戦前の絵葉書は所有している竣工記念絵葉書と今回の絵葉書、そして豊郷小学校に展示されていた物の3点確認できました。他にもあるかもしれません。

※関連記事・古絵葉書・豊郷尋常高等小学校(現・豊郷小学校旧校舎)竣工記念

古絵葉書・陸軍歩兵第九連隊(大津時代)

歩兵第九連隊001
歩兵第九連隊は明治7年に大阪にて編成され、明治8年に大津市に移駐しました。
以来、日清・日露の戦争を戦い抜きましたが、大正14年の宇垣軍縮により京都の伏見に移駐が決定。
郷土の誇りであり重要な経済基盤であった第九連隊の移駐は地元市民からの反対も根強く、
結果、第三大隊が残ることになりました。
現在、連隊の跡地は大津商業高校となり、当時の建物等は失われています。
最初の絵葉書は連隊本部の建物。
歩兵第九連隊002
大津練兵場。
第九連隊の駐屯地前にあった練兵場。跡地は現在、皇子山総合運動公園となっています。
歩兵第九連隊003
将校集会所より兵営と琵琶湖を望む。
将校集会所は連隊内の将校クラブの施設ですが、どこの連隊もやや小高い場所に建てられていました。
兵舎はロの字に配置され、真ん中に営庭が作られていますが、現在の大津商業高校のグラウンドと
同じ位置のようです。

古絵葉書・滋賀銀行本店新築記念絵葉書(絵葉書3枚・建築概要付)

滋賀銀行本店1001
滋賀県を中心に展開する滋賀銀行の本店新築記念絵葉書です。
滋賀銀行は明治12年に国立銀行の一つであった第百三十三国立銀行を起源とし、
昭和8年に八幡銀行と合併。株式会社滋賀銀行が誕生しました。
この新築記念絵葉書の本店建物は昭和9年の1月10日に起工。同年10月17日に完成していますので、
合併そして滋賀銀行誕生に伴って新築されたのでしょう。
この新築記念絵葉書は、絵葉書3枚に加え建築概要・本店平面図が記された小冊子が付属しています。
以下、紹介していきます。
「続きを読む」からご覧ください。
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古絵葉書・豊郷病院(3枚)

豊郷病院001
けいおん!の聖地で有名になった豊郷小学校の滋賀県犬上郡豊郷町にある豊郷病院です。
以前紹介した豊郷病院とは別の絵葉書で、恐らく竣工記念として作られたセット物と思われます。
1枚目は豊郷病院の本館。アーチ窓が特徴の洋風の建物です。
豊郷病院002
豊郷病院の全景イラスト。
本館の背後は平屋建ての病室が並んでいます。
豊郷病院003
定礎と平面図。
定礎には大正15年とあります。
豊郷病院004
※サムネイルクリックで大きくなります。
豊郷病院平面図のアップです。
元の図面が小さい上に印刷の関係で字がつぶれていて見づらいですが、
正面の本館には、1階に待合室や内科と外科の診察室、レントゲン室、事務室。
そして手術室。2階には講堂と図書室があります。
本館裏の建物は左から普通病舎・特別病舎・寄宿舎となっています。
豊郷病院は昭和15年にヴォーリズ建築事務所によって建て直されているようです。
この建物の設計者は分かりませんでした。

※関連記事 古絵葉書・豊郷病院

古絵葉書・龍ヶ池揚水機場新設排水路(豊郷町)

龍ヶ池
滋賀県豊郷町にある龍ヶ池揚水機場は、明治44年に農地への給水目的として井戸からポンプで水を汲み上げ
排水する施設として造られたものです。
この絵葉書は新たに造られた用水路を記念して発行された絵葉書と思われます。
絵葉書の様式から、大正から昭和初期のものと思われます。

龍ヶ池揚水機場に関しては下記の関連記事である「豊郷村砂山池・龍ヶ池・安食西揚水機場」
をご覧ください。

※関連記事・豊郷村砂山池・龍ヶ池・安食西揚水機場

古絵葉書・和歌山県有田郡役所及有田郡会議事堂

有田郡役所
和歌山県内にある有田郡の郡役所で、現在の湯浅町に置かれました。
向かって右が郡役所。左が郡会議事堂のようです。
地方の小さな町でありながらこれほど立派な洋館を建てる気概が
戦前の役所にはあったんですね。

古絵葉書・豊郷村役場新築落成記念絵葉書(4枚組)

豊郷村役場新築落成記念1
けいおん!の舞台としてすっかり有名になった豊郷小学校旧校舎群から
中山道を大津・京都方面へ500mほど進んだところに、豊郷町役場があります。
この建物は昭和5年に村役場として完成した庁舎で、改造はされているものの
当時の建物がそのまま使われています。
この絵葉書は豊郷村役場の完成を記念して作られた絵葉書セットで、
全部で4枚入っています。

追記ページに絵葉書等の紹介をしますので、「続きを読む」からご覧ください。
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古絵葉書・奈良大本営(奈良倶楽部)

奈良大本営
大本営とは、戦時中や事変の際に設置された帝国陸海軍の最高統帥機関です。
これは、奈良倶楽部という建物に大本営が置かれた時の絵葉書ですが、
奈良倶楽部を調べても該当の戦前の和風建築のデータが見つかりません。
建物は大規模な和風建築で、現在も残っていれば貴重な近代和風建築となるのですが、
恐らく現存していないものと思われます。

古絵葉書・豊郷村砂山池・龍ヶ池・安食西揚水機場

豊郷村砂山池揚水機場
ヴォーリズ建築と、けいおん!の舞台で有名な旧豊郷小学校の近くに、
豊郷町の歴史を物語る2つの近代化遺産が遺されています。
「砂山池揚水機場」と「龍ヶ池揚水機場」で、この地の用水の苦労を物語る遺産です。

上の古絵葉書は四十九院地区にある砂山池揚水機場で、明治44年竣工の際に発行された絵葉書です。
砂山池揚水機場

砂山池揚水機場2
現在の砂山池揚水機場。竣工当時の姿をほぼ留めています。
木造の建屋の下は煉瓦造りですが、アーチ部分は当初から塞がれていて鉄管で揚水していたようです。
豊郷村龍ヶ池揚水機場
砂山池揚水機場から南へしばらく進んだ石畑地区というところに、龍ヶ池揚水機場かあります。
この龍ヶ池揚水機場も現存しています。
龍ヶ池揚水機場
現在の龍ヶ池揚水機場。同じく明治44年竣工。
砂山池揚水機場に比べて大分改修されていますが、面影は遺されています。
また、「タツガイケ」の文字が記された煉瓦造りの煙突も現存しています。
安食西揚水機場
こちらは安食西地区にあった揚水機場です。恐らく同じ明治44年竣工と思われます。
この揚水機場は現存はしていないようです。

豊郷町はかつては水不足により農業用水を人力で井戸から汲み上げ、田畑に使用する状況でした。
そうした状態を打開するために、明治42年「豊郷村耕地整理組合」を設立。
ポンプによる井戸水の揚水施設を建設し、人力に頼らない大量の用水を田畑に送る計画を立てました。
そして、明治44年。念願の揚水機場が完成し、現在に至るまで豊郷町の田畑へ水を送り続けています
説明板
※クリックで拡大します。
この揚水機場について、旧豊郷小学校内にも展示がされています。


古写真・大阪変電所(現・古川橋変電所)

大阪変電所1
写真裏に「大阪変電所全景其ノ一」との記載があります。
相当大規模な変電所施設のようです。
奥に変電所の建物が見えますね。
大阪変電所2
別のアングルです。写真裏には「大坂変電所全景其ノ二」とあります。
手前に小川が流れてますね。場所を特定する鍵となりそうです。

※コメント欄より情報を頂きました。
大阪変電所は古川橋変電所として今も当時の建物が残されています。
古川橋変電所は大正11年大阪府門真市に建設されました。

古写真・春日出第二発電所

春日出第二発電所
かつて大阪市此花区にあった火力発電所で、大阪電燈(後の関西電力)によって、
大正11年に建設されました。
立ち並ぶ巨大な8本の煙突が特徴的で、当時は「八本煙突」と呼ばれ、東京千住にあった千住火力発電所の
「お化け煙突」と並び称される存在でした。

2003年老朽化により取り壊され、跡地はホームセンターになっています。

古絵葉書・摩耶ケーブル摩耶駅

摩耶駅
大正14年に摩耶山観光用に造られたケーブルカーです。
高尾駅から摩耶駅までをつなぐ路線で、摩耶駅の近辺には、摩耶観光ホテルや摩耶遊園といった
娯楽施設がありました。

しかし、昭和19年に不要不急線に指定され運休。戦後の昭和30年から営業が再開されました。

この絵葉書は、摩耶駅のホームの様子を写したもので、ホームには多くの観光客で賑わっています。
現在摩耶駅は「虹駅」と名称が変わってますが、大正14年開業時の駅舎は改修はされているものの、
そのまま使われています。

古絵葉書・摩耶山ホテル

摩耶山ホテル
神戸市の摩耶山中にかつて豪勢なホテルがありました。
摩耶観光ホテルと呼ばれていたホテルで、昭和4年に完成。
鉄筋コンクリート造で、軍艦を思わせる外観から「軍艦ホテル」とも呼ばれました。

しかし、昭和19年に摩耶ケーブル線が不要不急線に指定され廃止されたのに伴い、
ホテルの営業も終了しました。

戦後、再オープンしたものの再び休止。その後、摩耶学生センターとして再利用されましたが、
1994年に閉鎖され、現在は廃墟となっています。

ホテルの廃墟自体は阪神大震災でも倒壊しませんでしたが、管理・整備等されておらず、荒廃している状態です。
廃墟ファンには通称「マヤカン」で有名な廃墟で、多くのサイトや出版物にも紹介されていたりします。
(原則立ち入り禁止です)

この絵葉書は、開業間もないころのものと思われ、ホテル周りの登山道の桜が綺麗ですね。
絵葉書に写る建物の部分は今でもその姿が保たれています。

古絵葉書・豊郷病院

豊郷医院
豊郷病院は、滋賀県豊郷町八目にある病院で、大正14年に設立されました。
現在は総合病院として大きな施設となっていますが、
この絵葉書の病院も鉄筋コンクリート造の洋風建築で、当時としては立派な病院だったと思われます。

豊郷と言えば、ヴォーリズが設計した豊郷小学校が有名ですが、
※参照・豊郷尋常高等小学校竣工記念絵葉書
この豊郷病院も昭和15年にウォーリズが設計したようで、
なるほど、そう言われればウォーリズらしい建物ですね。

古絵葉書・六麓荘 住宅地ノ一部

六麓荘
兵庫県芦屋市にある六麓荘地区は、現在も大邸宅が並ぶ超高級住宅街として有名な場所です。
昭和初期から造成が行われ始めましたが、当時から高級住宅地として知られていたようですね。
絵葉書はおそらく造成開始間もない頃の六麓荘の写真と思われますが、
すでに洋風・和風とも大規模な邸宅が建ってますね。
特に、中央のモダニズム建築は名のある建築家が手がけないと作れなかった住宅だったと思います。

古絵葉書・大阪帝国大学微生物病研究所(4枚)

大阪帝国大学微生物病研究所1
現在も研究機関として存在する大阪大学の微生物病研究所は、昭和9年に
堂島にあった大阪帝国大学堂島キャンパスに設立されました。
しかし、施設が手狭になってきたため、昭和42年に吹田キャンパスに移転しました。
よって、開設当時の建物は現存していないものと思われます。

この絵葉書は、研究所開所式記念として作られた絵葉書です。
この絵葉書は4枚のセットとなっています。

中身については「続きを読む」からご覧ください。
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古絵葉書・芦屋 中山邸新築記念絵葉書

中山邸1205
最近、国指定登録文化財に指定された芦屋市の中山邸が完成したときに発行された
記念絵葉書です。
個人宅でも絵葉書にして一般に売られたのでしょうか。
どちらかと言うと関係者に記念品として配られたと思いますが。
中山邸の設計は、戦前戦後にモダニズム建築で名を馳せた村野藤吾の作品。
昭和9年に完成しました。
この中山邸もすっきりとしたさわやかなモダニズム建築となっています。
中山邸2206
庭園から客室を望むアングル。
庭園がかなり広いですね。建物自体も相当な規模で
かなりのお屋敷です。

実はこの他にも洋館内部を撮影した絵葉書とか数種類あったのですが、
入手し損ねました。内部写真のほうが資料的には貴重だったかもしれませんが…

古絵葉書・大阪中央電信局竣工記念(6枚セット )

大阪中央電信局袋
かつて名作と称された東京中央電信局の設計者、山田守は
大阪の中央電信局の設計も手掛けました。
そのせいか、外観はやや似た印象があります。
大阪中央電信局外観
ただ、やはり東京中央電信局のデザインには一歩及ばなかったようで、
そのことは山田守自身も感じており、
「大阪の中央電信局は壊していいが、東京の中央電信局は残してほしい」
と語ったほどです。
しかし、それでも大阪中央電信局のデザインは優れたもので、
現在も残っていれば素晴らしい名建築であったことだろうと思われます。
この絵葉書は、昭和3年に完成した大阪中央電信局を記念して造られた
絵葉書セットです。現在手元に外観含めて6枚ありますが、
本来はもう少しあったものと思われます。

残りの内部の絵葉書は「続きを読む」からご覧ください。
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古絵葉書・草野川電気株式会社

草野川電気株式会社1
大正4年に開業した電気会社で、草野川を利用した水力発電による
電気の供給をしていました。
これは草野川電気株式会社の本社社屋。社屋というより民家のようですね。
草野川電気株式会社2
これは、草野川第一発電所。発電所の建物は小さいですね。
草野川電気株式会社3
発電所内部。
制御盤らしき装置と発電機がある以外は、ほとんど農家の納屋のような感じです。
しかし、こんな小さな発電所がもたらす電気の光は近隣の民家にとって
革命的なものでした。この小さい会社の小さい発電所にかける地元の期待は大きく、
それが、これら絵葉書と記念スタンプによく表れてます。

この時期、滋賀県内には多数の中小の発電会社が誕生していたようですが、
大正も半ば以降になると、京都電燈と宇治川電気の2社によって買収されていったようです。
この草野川電気株式会社もほどなくして吸収されたものと思われます。

古絵葉書・氷上郡上久下村営水力発電所

氷上郡上久下村営水力発電所
丹波市山南町にあるこの煉瓦の小さな発電所は、
大正11年に上久下村が建設した村営の水力発電所です。
当時隣町に電気が引かれたのを見た上久下村の人たちは
「わが村にも電気を」と切望し電力会社に掛け合いましたが、
中々実現に至らず、それならば自分たちで発電所を作ろうということになり、
村内の山林を売却した資金などを使い完成。
巨額の費用で完成したこの発電所は、村内に悲願の電気の明かりをもたらしました。
村の努力により完成したこの村営発電所は、昭和18年に関西配電(現・関西電力)
へ売却。戦後も使用されましたが、昭和38年に機器が故障してからは
この発電所は廃止となりました。
現在、この旧発電所の建物は老朽化が進んでいますが、
国指定の登録文化財に指定されて保存されています。
ちなみに、この発電所のすぐ下の川から話題となった恐竜である
丹波竜の化石が見つかり、現在も発掘がすすめられています。

古絵葉書・飛行第三連隊将校集会所

飛行第三連隊将校集会所
飛行第三連隊は、滋賀県八日市市に存在した陸軍の航空部隊です。
編成は昭和13年。航空機が発達して、航空戦力が重視され始めたことにより
各地に航空部隊が設立されたうちの一つです。
この絵葉書に写る洋館は飛行第三連隊の将校集会所です。
昭和13年設立ですので、比較的新しい陸軍の部隊なのですが、
将校集会所の建物は明治期の洋館のようなやや古風な様式的な洋館です。
クラブハウスとしての性格を重視したためでしょうか。
飛行第三連隊のあった八日市市には当然陸軍の飛行場がありました。
現在、八日市飛行場は存在しませんが、かつてのコンクリート製の大規模な掩体壕が
竹林の中などに2基ほど現存しているようです。

古絵葉書・大阪城跡絵葉書(9枚セット)

大坂城跡袋
現在大阪城公園として市民に親しまれている大阪城跡は
かつては第四師団司令部などが駐屯する陸軍の用地でした。
この大阪城は、第四師団司令部だけでなく城内全域が陸軍の施設だらけだった
一方で、史跡という性格からかほかの陸軍用地と違い一般にも開放されていました。
こういった絵葉書セットがお土産として第四師団の売店で売られていたのもそういった理由です。
今でも見ることのできる大阪城ですが、それでも空襲とかで焼失した建物も多く、
戦前の絵葉書は今では見ることのできない当時の大阪城の様子を知ることができます。
この絵葉書は9枚セットになっております。中身の絵葉書は続きを読むからご覧ください。
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古絵葉書・明治後期の手彩色大阪城西の丸(乾櫓・京橋口門・伏見櫓)

大阪城西の丸
明治43年の消印がある大阪城西の丸付近の手彩色絵葉書です。
写っている建物は、手前が乾櫓、真ん中の渡櫓門が京橋口門、
一番奥の三層櫓が伏見櫓になります。
現在の大阪城は豊臣期の大阪城を埋めた上に新たに築城された徳川幕府の城です。
そのため、櫓なども幕府普請で建てられた二条城や江戸城とよく似たデザインの
総塗込めの櫓となっています。
徳川大阪城は、豊臣期の大阪城と異なり落雷で天守を焼失した以外は幕末まで
大きな被害にあうことなく、多くの櫓群が存在しました。
しかし、鳥羽伏見の戦いでほとんどの建物を焼失。わずかに残った櫓や門も
終戦前日の昭和20年8月14日の空襲でさらにいくつか焼失し、
現在は櫓4棟と大手門と蔵しか残されていません。
(現在の天守は昭和6年築の鉄筋コンクリート造) 
特に一番奥に写る伏見櫓は鳥羽伏見の戦いで焼け残った唯一の三層櫓だっただけに
惜しまれるものがあります。この絵葉書に写る建物で現在もその姿を見ることができるのは、
一番手前の乾櫓のみとなってしまいました。

古絵葉書・天理中学校・天理小学校(現・天理高校・天理中学校)

天理
天理市にあった天理中学校と天理小学校の絵葉書です。
両学校は、天理教の経営する天理大学の付属の学校として設立されました。
神道系の天理教が経営しているためか、両者とも和風の校舎になっています。
現在、両校は戦後の学制改編により天理高校と天理中学校になっています。

古絵葉書・由良要塞司令部

由良要塞司令部
大阪湾防衛の目的で紀淡海峡周辺に設けられたのが由良要塞地帯で、
その司令部として洲本市に明治29年設置されたのが由良要塞司令部です。
この絵葉書は司令部の正門の写真です。敷地内には木々が植えられ、
軍の施設とは思えないのどかな環境のいい雰囲気になってます。
この司令部はもう存在しませんが、煉瓦造の要塞施設は現在もいくつか現存し、
特に友ヶ島の要塞は残りもよく見学することができます。

※関連記事
古絵葉書・由良要塞 加太地区 深山第一砲台
古絵葉書・鳴門要塞 門崎砲台もしくは行者ヶ岳砲台か

古絵葉書・西能勢村役場

西能勢村役場
大阪府の北西端、京都府の亀岡市と隣接している能勢町は、
昭和31年に歌垣村・田尻村・東郷村・西能勢村が合併してできた町です。
この絵葉書は合併前の戦前のもので、昭和10年代ごろのものと思われます。
小さな村の役場らしく、村役場も1民家のような小ささです。
西能勢村役場などで調べてみましたが、はっきりとしたことはわかりませんでした。
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