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古絵葉書・橋立大丸

橋立大丸001
京都府宮津市にある橋立大丸の絵葉書です。
絵葉書には「対橋楼経営」と書かれています。対橋楼は現在も宮津市にある老舗の旅館で
創業は明治元年。与謝野晶子も宿泊したことのある歴史ある旅館です。
その対橋楼が橋立大丸を経営していたようですが、現在対橋楼・橋立大丸双方のHPには
お互いのHPはリンクされていません。橋立大丸はある時期に対橋楼から独立したのでしょうか。
現在橋立大丸は「ドライブイン橋立大丸」として同じ場所で経営されています。
建物は絵葉書とは形が異なり建て替えられたのか改装されたのか分かりませんが、
1階はお土産売り場、2階3階は大食堂という作りは今も変わりません。
ちなみに「大丸」という名前がついてますが、大手百貨店の大丸とは関係はありません。
戦前から有名だった大丸にあやかって名付けられたものと思われます。

古絵葉書・栗田水上機基地(舞鶴海軍航空隊)

栗田水上機基地001
京都府宮津市の栗田湾にはかつて舞鶴海軍航空隊の水上機基地がありました。
舞鶴海軍航空隊は水上偵察機6機のみで編成された航空隊で、日本海側の防衛を担当しましたが、
大規模な航空隊を編成することはありませんでした。
水上機とは機体の下にフロートを持ち、海面上から発進・着水をする航空機です。
絵葉書に写る水上機は一四式水上偵察機で配備された6機のうちの2機と思われます。
また奥に海軍のものと思われる艦艇がいますが、詳細は分かりません。
水上機母艦かなとも思いましたが小さいですし。
栗田水上機基地は昭和10年に栗田村に建設を決定。測量が開始され同年起工。翌年完成しました。
水上機基地一帯には第31海軍航空廠・兵舎・飛行場・桟橋が建設され、現在栗田水上機基地跡地は京都府立海洋高校としてとして使用され、第31海軍航空廠の跡地は関西電力宮津エネルギー研究所として利用されていますが、現在も当時のコンクリート舗装や桟橋が残っているようです。
また、舞鶴海軍航空隊の格納庫は綾部市に移築され、綾部市市民センターとして現在も利用されています。

※関連記事
古絵葉書・舞鶴海軍航空隊(栗田水上機基地)

古絵葉書・峰山区裁判所

峰山区裁判所002
峰山区裁判所は現在の京都府京丹後市峰山町にあった裁判所で、現在の京丹後簡易裁判所の前身でもあります。
峰山町は明治22年に町制が施行されましたので、それ以降の設立でしょうか。
峰山区裁判所の建物は、戦前の地方の役所によく見られる木造の和風建築ですが、
門と塀は明治らしい煉瓦造りで裁判所としての威厳を保っています。

古絵葉書・新舞鶴町役場(現・東舞鶴)

新舞鶴町役場001
現在の舞鶴市は主に城下町の西舞鶴と軍港の東舞鶴という異なる経緯の地区で
構成されています。
現在舞鶴市の中心的役割の東舞鶴地区は明治34年の舞鶴鎮守府開庁に伴い
成立した新しい街でした。
昭和13年に周辺の村落地区を編入し東舞鶴市が成立。
しかし、昭和18年に海軍からの要請により旧舞鶴市(現・西舞鶴地区)と対等合併。
現在の舞鶴市が成立しました。

この絵葉書は新舞鶴町役場と書かれており、昭和13年以前のものと分かります。
絵葉書の新舞鶴町役場は昭和10年に完成したもの。東舞鶴市制移行後も
市庁舎として使用されました。

新舞鶴町役場と一緒に取り上げられている旅館白糸は現在も営業されている
明治13年創業の老舗旅館です。

古絵葉書・郡是製糸株式会社宮津工場

群是製糸宮津工場001
戦前からの大手被服メーカーであるグンゼの戦前の宮津工場を撮影した絵葉書です。
郡是製糸宮津工場は大正元年に設立され、現在もグンゼ宮津工場として稼働しています。
写真は工場全景。右端の大きな煙突を持つ建物は工場内の発電所でしょうか。
その左には寄宿舎らしき建物。中央奥には繭倉。工場敷地左半分は工場棟かと思われます。
中央の大屋根は工場事務所のようです。
群是製糸宮津工場002
工場正門。正面の建物は全景写真の中央に写っていた工場事務所かと思われます。
群是製糸宮津工場003
養生院。従業員の保養施設のようなものでしょうか。
洋風の洒落た建物です。

現在グンゼ宮津工場内にこれらを含めた戦前の建物が現存しているかは不明です。

※関連記事
古絵葉書・郡是製糸本社新築記念
古絵葉書・郡是製糸株式会社福知山工場
古絵葉書・郡是製糸株式会社萩原工場
古絵葉書・郡是製糸株式会社園部工場

古絵葉書・宮津高等女学校

宮津女学校008
宮津高等女学校は現在の宮津高校の前身の一つで、その始まりは明治39年に設立した
与謝郡立高等女学校でした。
大正12年に京都府に移管。以後京都府立宮津高等女学校として昭和23年に旧制宮津中学校と合併し
京都府立宮津高等学校となるまで続きます。

この絵葉書は大正12年に京都府に移管された後の高等女学校時代のものですが、
校舎は明治初期から前期にかけてに多く見られる擬洋風建築で、古風に見えます。
奥に見える大屋根の建物は学校というより寺に見えることから、
元々お寺だったものを女学校に使い、それに伴い増築したのでしょうか。

古絵葉書・郡是製糸会社蚕事所

グンゼ002
綾部市にある郡是製糸関連の建物の一つで、大正後期に建てられた蚕事所という施設とのことです。
現在も関連会社の事務所として使用され、絵葉書にも写る茶色タイルの縦ラインや装飾なども
当時のまま残されています。

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古絵葉書・峰山小学校及女学校の景

峰山004
現在も校舎として使用されているロマネスク風の校舎は、昭和4年に建てられました。
小さな町にモダンな校舎が建てられた当時はさぞ目を引いたことと思います。

古絵葉書・丹後由良海水浴場

由良海岸001
由良海岸は宮津市にある海岸で、舞鶴市との境に近い場所にある海水浴場です。
現在も夏になると多くの人が訪れる海岸ですが、絵葉書でもあるように
戦前から海水浴場として人気だったようですね。
絵葉書には水着を着た人たちが写っています。
絵葉書は昭和初期頃のもので、その当時の海水浴スタイルをうかがい知ることができます。

古絵葉書・舞鶴海岸駅

舞鶴海岸駅
かつて存在した舞鶴線貨物支線の終着駅で、舞鶴港駅とも呼ばれました。
明治37年、舞鶴海軍鎮守府開府に伴う軍需物資の輸送と舞鶴港での商業物資の輸送のために開設されました。
戦後も利用され続けましたが、交通事情の変化に伴い昭和60年に廃止されました。

古絵葉書・舞鶴海軍工廠 舞鶴海軍海友社

舞鶴海軍工廠1
※舞鶴海軍海友社については、こちらの記事を参照してください。

舞鶴海軍工廠は明治34年に開設した日本で4番目の海軍工廠で、日本海側随一の海軍工廠でした。
大正12年ワシントン海軍軍縮条約に伴い、舞鶴鎮守府が舞鶴要港部に格下げになったのと同じく、
舞鶴海軍工廠も舞鶴海軍工作部へと格下げになりましたが、昭和11年に再び海軍工廠へと復帰しました。
この絵葉書は復帰後のものと思われます。
舞鶴海軍工廠は駆逐艦建造を主とし、各駆逐艦の1番艦は必ず舞鶴海軍工廠にて建造されました。
昭和20年7月29日に空襲の被害を受けましたが、その時に落とされた爆弾は模擬原爆であったと言われています。

戦後は民間に払い下げられ、飯野重工業・日立造船舞鶴工場と変わり、
現在はユニバーサル造船舞鶴事業所として海上自衛隊の艦船の建造や修復を手がけています。
舞鶴海軍工廠2
ユニバーサル造船舞鶴工場内には、今でも旧海軍工廠時代の煉瓦建築や石造りのドックが存在し、
貴重な近代化遺産群として知られています。また、海軍工廠の本館の建物も保存されています。

古絵葉書・丹後縮緬同業組合本部

丹後縮緬同業組合本部
丹後縮緬同業組合本部は明治31年に結成された組合で、丹後地域の特産である丹後縮緬の製造業者の組合です。
同じく写っている縮緬記念碑は明治29年に建てられたものですが、戦時中に供出された上に
台座も他に転用され現在は見ることは出来ません。

丹後縮緬同業組合本部はその後も何度か変遷を繰り返し、現在の丹後織物工業組合に至ります。

関連記事・丹後縮緬商品館

古絵葉書・丹後縮緬商品館

丹後縮緬商品館
丹後縮緬商品館は、大正10年に改編されて誕生した丹後縮緬同業組合が経営していた販売所で、
絵葉書によると、天橋立駅より南に1丁(約109m)のところにあったようです。
天橋立の観光客を見込んだ販売施設だったと思いますが、位置関係を見たら、
だいたい智恩寺の門前近くにあったのでしょうか。

古絵葉書・舞鶴軍港 水雷団庁舎

舞鶴海軍水雷団庁舎
舞鶴海軍水雷団は、明治33年に舞鶴海軍鎮守府開庁とともに設置されました。
水雷団とは爆雷・魚雷を主兵装とする水雷艇・駆逐艦・潜水艇で編成される攻撃部と
機雷等を敷設する敷設艇で編成される敷設部で構成される部隊です。
舞鶴水雷団
こちらは、以前記事にした舞鶴海軍水雷団の正門の絵葉書です。
この絵葉書には庁舎は写ってませんが、奥に水雷団の兵舎が写ってます。

関連記事・古絵葉書 舞鶴水雷団

古絵葉書・郡是製糸株式会社(明治後期頃)

郡是製糸株式会社明治41年
京都府綾部市に本社のあるグンゼは、明治29年創業の郡是製糸株式会社を前身とする企業です。
この絵葉書は明治41年の消印があり、それ以前の明治後期の郡是製糸株式会社の姿です。
現在記念館として保存されている旧本館は大正6年築。現在の本社社屋は昭和8年の建築なので、
の絵葉書にはまだそれらの建物は写っていませんね。

関連記事・郡是製糸本社新築記念

古絵葉書・舞鶴海兵団(昭和新設時)

舞鶴海兵団(昭和新設時)
海兵団とは、海軍兵の下士官や新兵を教育する機関です。
各鎮守府に置かれ、舞鶴へは明治35年に設置されました。
しかし、ワシントン海軍軍縮条約により舞鶴鎮守府は大正12年に要港部へと格下げ。
海兵団は廃止となりました。
その後、海兵団跡地には大正14年に海軍機関学校が移転しました。
昭和14年、舞鶴要港部が再び鎮守府へと格上げ。海兵団も新たに設置する必要が出たため、
新たに東舞鶴後に敷地を得て新設されました。
それがこの絵葉書の舞鶴海兵団です。

現在、この海兵団だった敷地は舞鶴教育隊の敷地となり、当時の建物が今でも残っています。
舞鶴教育隊
海側から見た現在の舞鶴教育隊の姿です。
写真のベージュ色の建物は当時の庁舎で、絵葉書に写る建物です。
また、手前にある木造の建物も海兵団当時の建物です。

関連記事・舞鶴海兵団(明治~大正期)

古絵葉書・舞鶴重砲兵連隊 連隊本部

舞鶴重砲兵連隊
明治30年に編成された舞鶴重砲兵大隊は、日本海側と舞鶴鎮守府防衛の為に建設された舞鶴要塞の
任務を担当しました。

昭和11年、重砲兵大隊から重砲兵連隊に昇格。
この絵葉書は重砲兵連隊の注釈がありますので、昭和11年以降の発行です。
絵葉書に写る建物は連隊本部。恐らく大隊時代から引き継いでいる明治の建物かと思われます。

現在、舞鶴重砲兵連隊の跡地は日星高校の敷地となってますが、当時の営門や建物がいくつか残されています。

関連記事・舞鶴重砲兵大隊

古絵葉書・丹後商工銀行新築記念絵葉書

丹後商工銀行袋
丹後商工銀行は現在の京丹後市峰山町に存在した銀行で、現在の京都銀行の前身の一つです。
この絵葉書は、昭和2年に起きた北丹後地震で大被害を受けた当銀行が、
新たに峰山町呉服で昭和4年に新築されたのを記念して作られたものです。

内容は絵葉書2枚と建物の概要を記した説明、営業内容を説明した冊子、移転のお知らせのチラシと
中々豊富な内容で資料としても興味深い内容となっています。

資料の量が多いので、追記にて内容物を紹介しています。
「続きを読む」から御覧ください。
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古絵葉書・日出紡織株式会社舞鶴第一工場

日出紡織株式会社舞鶴第一工場1
日出紡織株式会社は、昭和16年に錦華紡績、日出紡織、出雲製織、和歌山紡織
の4社が合併して設立された大和紡績、現在のダイワボウの前身です。

この絵葉書は舞鶴にあった工場で、昭和12年に設立されました。
写真から見てもわかるように、かなり広大な工場敷地で、戦時中は軍需工場として利用されました。
舞鶴には近年までダイワボウの広大な工場がありましたが、2007年の火事で壊滅的ダメージを
受け撤退。現在は跡地となっています。

その跡地がこの絵葉書の場所かと思っていたのですが、跡地は現在の西舞鶴IC近くの場所で、
海からは遠く離れています。
日出紡織株式会社舞鶴第一工場2
同じ舞鶴第一工場の別アングルの絵葉書です。
下のキャプションに「海岸ヨリ見タル全景」とあり、現在のダイワボウ舞鶴工場跡地とは別の場所のようです。
古地図や背後の山の形から場所を特定できるかもしれません。

古絵葉書・新舞鶴名所 第一上陸場待合所

舞鶴第一上陸場待合場
現在の東舞鶴の埠頭にあったと思われる上陸者用の待合室の建物です。
東舞鶴は城下町として古くから発展した西舞鶴とは違い、明治34年の鎮守府開庁に伴い
新たに軍港として発展しました。
明治以降の近代的な街であり、海軍という西洋の様式を先進的に取り入れた街のためか、
この絵葉書の待合所も瀟洒な洋館で、電話ボックスらしき小屋もあり、
また、そびえる時計塔は当時の人々の目によく止まったことでしょう。

この「第一上陸場待合所」の建物ですが、検索しても詳細な情報が出ませんでしたが、
建物のデザインや絵葉書の様式から、明治~大正期の建築ではと思われます。

古絵葉書・舞鶴海軍機関学校

舞鶴海軍機関学校
海軍機関学校は、海軍の機関科に所属する将校を養成する学校で、
海軍兵学校・海軍経理学校と合わせて「海軍三校」と呼ばれました。

海軍機関学校の始まりは、明治7年横須賀に置かれた海軍兵学寮の分校で、
明治14年に海軍機関学校の名称となりました。
その後しばらく横須賀にありましたが、大正12年の関東大震災により校舎が大きな被害を受けたため、
昭和3年に舞鶴へと移転しました。

この絵葉書は舞鶴移転後の海軍機関学校の写真で、奥にある鉄筋コンクリート3階建ての建物は「生徒館」、
手前のアーチ窓の建物は、大講堂でした。

海軍機関学校は終戦と共に閉校となりましたが、敷地建物は海上自衛隊に引き継がれ、
海上自衛隊舞鶴地方総監部となった現在も海軍機関学校時代の多くの建物がそのまま使用されており、
手前の大講堂だった建物は海軍記念館として一般にも公開されています。

古絵葉書・綾部停車場

綾部停車場1
綾部駅は明治37年に開業し、当初は阪鶴鉄道の所属駅としてスタートしました。
明治40年に国有化。それ以降は阪鶴線となります。
この絵葉書は明治44年の記念スタンプがありますので、国有化後の絵葉書ですが、
現在のように山陰本線の所属駅となったのは明治45年です。
綾部停車場2
もう1枚の綾部駅。機関車が停車しています。
絵葉書を見ていると、跨線橋や信号所など明治後期の駅舎としては結構立派ですね。

古絵葉書・新綾部製糸株式会社

新綾部製糸株式会社1
新綾部製糸株式会社は、昭和3年に前年経営難に陥った綾部製糸株式会社を神栄製糸株式会社の
傘下に置くことで再スタートした製糸会社で、綾部製糸の工場・従業員をそっくり引き継いだため、
再び同じ場所・同じメンバーで創業しました。
この絵葉書は、新綾部製糸株式会社の本館。新たに新築されたものと思われます。
近代的な大きいビルで、当時の人の目を引いたことでしょう。
新綾部製糸株式会社2
こちらは、寄宿舎と思われる建物。綾部製糸時代の寄宿舎をそのまま引き継いでいるようです。

新綾部製糸株式会社は昭和15年に吸収元の神栄製糸株式会社の名前に変更されたため、
綾部の名前は消えることとなりました。

古絵葉書・綾部製糸会社工場之景

綾部製糸会社工場
綾部製糸は大正2年に設立した製糸会社で、すでに綾部で創業していた郡是製糸とともに
綾部での主力企業となりました。
綾部製糸は、昭和2年の金融恐慌の影響を受け経営難に陥り、神栄製糸の傘下へ。
「新綾部製糸株式会社」として再スタートしますが、昭和15年に「神栄製糸」となり、
綾部製糸の名前はなくなりました。

古絵葉書・綾部町之景

綾部町之景
昭和初期頃の撮影と思われる綾部市街の絵葉書です。
写真奥の大規模な工場群は、郡是製糸会社かと思われます。

綾部は、戦前まで町制で、戦後に周辺の郡と合併して綾部市となりました。

古絵葉書・経ヶ岬灯台(舞鶴軍港口)

経ヶ岬灯台
タイトルには「舞鶴軍港口」としか書かれていませんが、この灯台は、
現在の京都府京丹後市丹後町にある経ヶ岬灯台です。
ですので、舞鶴軍港口と書かれてはいますが、舞鶴港にあるわけではなく、
ずっと北の丹後半島の北端に位置する灯台です。
経ヶ岬灯台は明治31年に設置され、現在も当時の姿をそのまま残していることから、
Aランクの保存灯台に指定されています。
また、全国で6つしかない第1等フレネルレンズを当時のまま使用し続けている
1等灯台でもあります。
現在、絵葉書に写る石造の付属官舎は残っていないようですが、別の石造の付属建物は
残っているようです。

舞鶴要港部病院愛国寮絵葉書

舞鶴要港部愛国寮2
明治31年に開設された舞鶴鎮守府は、大正12年のワシントン海軍軍縮条約により
一旦要港部に格下げされ、舞鶴鎮守府所属の各施設も格下げされました。
この絵葉書の舞鶴要港部病院も、舞鶴鎮守府病院から格下げされた病院です。

その要港部病院に愛国婦人会京都支部の佐谷ハツさんと言う人が
昭和13年に愛国寮という建物を寄付し、その記念として出されたのがこの絵葉書セットです。
中身は、絵葉書4枚と建物の工事概要説明書1枚からなっています。

中身の絵葉書は、続きを読むからご覧ください。
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古絵葉書・郡是製糸本社新築記念

郡是製糸1
大手繊維メーカーのグンゼは綾部市に本社を置く企業で、創立は明治29年。
大正6年に洋風建築である旧本館が建てられましたが、昭和8年に本社棟を増やす形で
現在の本社屋が建てられました。
現在、旧本館はグンゼ記念館として使用され、この絵葉書の本社屋は
現在も本社屋としてそのまま使用されています。

この絵葉書セットはその新社屋完成を記念して発行された絵葉書で、絵葉書5枚と概要・平面図
を書いた資料1枚が入ってます。

追記で中身の絵葉書と資料を紹介します。
「続きを読む」からご覧ください。
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古絵葉書・橋立名産館

橋立名産館180
橋立という名前が付いているのと、背後に松林らしきものが描かれているので、
京都府宮津市の天橋立のお土産屋さんではないかと思います。
大きな塔屋が目立ちますが、おそらく展望台で、
1階と2階のそれぞれどちらかに売店と食堂があったものと思われます。

古絵葉書・舞鶴練習部全景

舞鶴練習部
大正12年、ワシントン海軍軍縮条約により鎮守府から要港部に格下げされた
舞鶴鎮守府は、鎮守府だけでなく海軍の諸施設も格下げになりました。
この舞鶴練習部は元舞鶴海兵団で、格下げによる海兵団廃止後は
横須賀海兵団所属の練習部となったようです。
その後、昭和2年この旧海兵団跡地に海軍機関学校が移転し
新しい建物が建てられ終戦まで存続。
現在は海上自衛隊舞鶴地方総監部として機関学校時代の建物がそのまま使用されています。
ちなみに、昭和18年舞鶴の大浦地区に新たに平海兵団が設けられました。

関連記事・舞鶴海兵団
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